退屈な時間ほど、自分と向き合える

どうも、ススムです。

退屈な時間は、できれば避けたくなるものです。

同じ作業の繰り返し。
待ち時間。
移動時間。
何も刺激がない時間。
ただ時間が過ぎていくだけのように感じる時間。

そういう時間が続くと、ついスマホを見たくなります。

動画を流す。
SNSを見る。
ゲームをする。
ニュースを読む。
とにかく何かで気を紛らわせる。

もちろん、それが悪いわけではありません。

退屈を埋める時間も必要です。
疲れている時は、何も考えずに気分転換したい日もあります。

でも、退屈な時間をすべて刺激で埋めてしまうと、自分の本音に気づく機会までなくなってしまうことがあります。

退屈な時間には、余白があります。

その余白の中で、ふと考えてしまうことがあります。

「このままでいいのか」
「自分は何に納得していないのか」
「本当は何がしたかったのか」
「今の生活を、このまま続けたいのか」

普段は忙しさや情報で隠れている問いが、退屈な時間に顔を出すことがあります。

だから僕は、退屈な時間はただの無駄ではないと思っています。

むしろ、自分と向き合うための入口になることがあります。

もちろん、退屈な時間に急に答えが出るわけではありません。

ただぼんやりして終わることもあります。
同じことをぐるぐる考えてしまうこともあります。
不安が強くなることもあるかもしれません。

だからこそ、少しだけメモを使うのがおすすめです。

退屈な時間に浮かんだ言葉を、一つだけ残す。

「今、何が嫌だと感じたか」
「何を変えたいと思ったか」
「本当はどんな時間を増やしたいか」
「今の自分は、何から逃げているのか」

そんな短い問いで構いません。

退屈な時間を、ただ耐えるだけの時間にしない。
刺激で埋めるだけの時間にもしない。
少しだけ、自分の内側を見る時間にしてみる。

それだけで、時間の意味は変わります。

現代は、退屈を感じにくい時代です。

スマホを開けば、すぐに何かが流れてきます。
考えたくないことから、すぐ逃げることもできます。

でも、自分の人生を選び直すためには、時々、何もない時間が必要です。

何もないからこそ、自分の中にあるものが見えてくる。
刺激が少ないからこそ、本音が浮かんでくる。

退屈は、敵とは限りません。

あなたの本音が顔を出す余白かもしれません。

もし今日、退屈だと感じる時間があったら、すぐに埋めようとする前に、一度だけ問いかけてみてください。

「今、この退屈の中で、僕は何を感じているのか」

その問いから、自分でも見えていなかった本音に気づくことがあります。

退屈な時間ほど、自分と向き合える。

そう考えると、無駄に見えていた時間も、少しだけ未来の材料に変わっていきます。

ススム

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