自分の経験を誰かの役に立てようと思った日

どうも、ススムです。

僕は長い間、自分の経験を「人に見せるようなものではない」と思っていました。

遠回りも多かった。
失敗もあった。
途中で止まったこともあった。
何かを大きく成し遂げたわけでもない。

だから、自分の経験に価値があるとは、なかなか思えませんでした。

むしろ、過去を振り返るたびに、責める材料ばかりが見えていました。

もっと早く動けたはず。
もっと本気で続けられたはず。
あの時、違う選択をしていれば。

そんな言葉が、自分の中で何度も出てきました。

でもある時、少し見方が変わりました。

自分にとっては失敗や遠回りに見えることでも、同じ場所で悩んでいる人にとっては、何かのヒントになるかもしれない。

そう思ったのです。

僕が悩んできたこと。
動けなかったこと。
虚無を感じながら働いてきたこと。
過去の本気をどう使い直せばいいのか考え続けてきたこと。

それらは、きれいな成功談ではありません。

でも、同じように
「このままでいいのか」
と感じている人には、届く言葉があるかもしれない。

そう考えた時、自分の経験をただ隠しておくだけではもったいないと思いました。

人の役に立つというと、立派な実績や強い言葉が必要だと思いがちです。

でも、本当に苦しい時に必要なのは、完璧な成功者の話だけではないと思います。

同じように悩んだ人の言葉。
遠回りした人の視点。
今も現実の中で選び直そうとしている人の声。

そういうものが、誰かの心に少しだけ届くことがあります。

僕は、自分を大きく見せたいわけではありません。
成功者として上から語りたいわけでもありません。

ただ、自分が通ってきた違和感や虚無や再選択の感覚を、必要としている人に渡せたらいいと思っています。

そのためには、まず自分の経験を否定しすぎないこと。

失敗も、遠回りも、迷いも、全部を恥として隠すのではなく、そこから拾えるものを言葉にしていくこと。

それが、自分の経験を誰かの役に立てる最初の一歩なのだと思います。

もしあなたにも、見せたくない過去や、無駄だったと思う経験があるなら、すぐに価値へ変えようとしなくても大丈夫です。

まずは、一つだけ問いかけてみてください。

「この経験は、同じように悩む誰かに何を伝えられるだろうか」

その問いを持った時、過去はただの後悔ではなくなります。

誰かに渡せる言葉の材料に変わっていきます。

僕は、自分の経験を誰かの役に立てようと思った日から、過去の見え方が少し変わりました。

失敗も遠回りも、まだ終わった話ではない。

これからどう使うかで、意味は変えられる。

そう思えるようになったのです。

ススム

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