夢を諦めたあとには、独特の虚無が残ります。
ただ悲しいだけではありません。
悔しいだけでもありません。
怒りとも少し違います。
もっと静かで、重くて、空っぽな感覚です。
僕にも、そういう時期がありました。
本気で目指していたものがありました。
人生をかけるつもりで取り組んでいたことがありました。
でも、結果としてその道を続けることはできませんでした。
自分の実力。
現実の厳しさ。
続けるための条件。
仕事として成立させる難しさ。
いろいろなものを見て、どこかで見切りをつけるしかなかった。
夢を諦めるというのは、ただ目標を手放すことではありません。
その夢を追っていた頃の自分や、信じていた未来まで、一緒に失うような感覚があります。
だから、夢を諦めたあとには、時間が空きます。
何を目指せばいいのか。
何のために頑張ればいいのか。
何に本気になればいいのか。
それがわからなくなる。
毎日は続きます。
生活はあります。
働かなければいけません。
周りから見れば、普通に生きているように見えるかもしれません。
でも、自分の中では、何かが止まっている。
僕は、その時間に強い虚無を感じました。
ゲームや娯楽で気を紛らわせても、完全には埋まらない。
日々の仕事をこなしても、前に進んでいる感じがしない。
心の奥ではずっと、
「本当はこのままでいいのか」
という問いが残っている。
夢を諦めたあとに苦しいのは、夢そのものを失うことだけではないと思います。
本当に苦しいのは、
本気で生きていた自分まで、もう戻ってこないように感じること
です。
でも、今は少し違う見方もしています。
夢を諦めたからといって、本気だった時間まで消えるわけではありません。
その時に考えたこと。
努力したこと。
悔しかったこと。
傷ついたこと。
それでも向き合ったこと。
それらは、自分の中に残ります。
たとえ夢の形が変わっても、過去の本気は別の場所で使えることがあります。
だから、夢を諦めた経験を、ただの失敗として閉じ込めなくていいと思っています。
もちろん、すぐに前向きになれなくてもいいです。
苦しかったものを、無理に美談にする必要もありません。
ただ、もしあなたにも諦めた夢があるなら、一度だけ問いかけてみてください。
「その夢を追っていた頃の自分は、何に本気だったのか」
「その時間で、自分は何を得たのか」
「その経験は、今の自分にどう残っているのか」
夢は終わっても、本気だった自分まで消えたわけではありません。
その記憶は、これからの生き方を選び直すための材料になることがあります。
夢を諦めたあとに残った虚無は、苦しいものです。
でも、その虚無の中には、まだ使われていない過去の本気が眠っているかもしれません。
もう一度、同じ夢を追う必要はないかもしれません。
でも、あの頃の本気を、別の形で使い直すことはできます。
僕は、そう信じています。

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