なぜ僕は普通の人生に違和感を持ち続けたのか

僕は、昔から「普通に働いて、普通に生きる」という未来に、どこか違和感を持っていました。

もちろん、普通に働くことを否定したいわけではありません。
会社に勤めて、生活を守り、家族を支え、毎日を積み重ねている人を軽く見ているわけでもありません。

むしろ、それは簡単なことではないと思っています。

ただ、僕自身の中にはずっと、
「自分はこのままでは終われない」
という感覚がありました。

学生時代から、芸能や音楽に憧れていました。
人前で表現すること。
自分の中にあるものを形にすること。
誰かの心に届くものを作ること。

そういうものに、強く惹かれていました。

だから、ただ生活のために働き続けるだけの未来を想像すると、どうしても苦しくなったのです。

「それが現実だ」
「みんなそうやって生きている」
「夢ばかり見ていられない」

そういう言葉が正しいことも、頭ではわかっていました。

でも、頭でわかることと、心から納得できることは違います。

僕にとって一番つらかったのは、働くことそのものではありませんでした。

本当に苦しかったのは、
自分の中にある本気や表現したい気持ちを、なかったことにして生きること
でした。

現実のために働く。
生活のために時間を使う。
それは必要です。

でも、その時間が積み重なるほど、
「本当は何をしたかったのか」
「自分は何のために生きたいのか」
という問いが、心の奥に残り続けました。

その違和感は、簡単には消えませんでした。

一時的にゲームや娯楽に逃げても、目の前の仕事をこなしても、生活が続いても、ふとした瞬間に戻ってくるのです。

「このままでいいのか」
「自分は何を諦めようとしているのか」
「本当にこのまま歳を重ねていいのか」

その問いは、ずっと僕の中にありました。

今思うと、その違和感は邪魔なものではなかったのだと思います。

むしろ、僕が自分の人生を完全に諦めないための、最後の感覚だったのかもしれません。

違和感があるということは、まだ納得していないということです。
納得していないということは、まだ選び直したい気持ちが残っているということです。

だから、もしあなたが今、普通に働きながらも心の中で違和感を抱えているなら、その感覚をすぐに消そうとしなくていいと思います。

それは、わがままではないかもしれません。
甘えでもないかもしれません。
現実逃避とも限りません。

あなたの中にまだ、
「本当はこう生きたい」
という小さな火種が残っている証拠かもしれません。

もちろん、違和感だけでは人生は変わりません。

違和感を言葉にして、少しずつ選択に変えていく必要があります。
小さくても、現実の中で動かしていく必要があります。

でも、その始まりはいつも、
「このままでいいのか」
という静かな問いからだと思っています。

僕は、普通の人生に違和感を持ち続けてきました。

そのせいで苦しかったこともあります。
遠回りしたこともあります。
自分を責めたことも、何度もあります。

それでも今は、その違和感があったからこそ、考え続けることができたのだと思っています。

違和感は、あなたを苦しめるだけのものではありません。

まだ自分の人生を諦めていないことを知らせてくれる、内側からの合図でもあります。

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